テールエンダー in 北海道

北海道内外のトレイルレースでテールエンダー(最後尾役)を務めているe-ichiのブログでございます

栗城さん


下山家

本望だろう

無謀だった


色々言われるでしょうね。

私は彼のことを好きでも嫌いでも無かったし、単独無酸素エベレスト挑戦に関してもあまり特別な目では見ていませんでした。

気になっていたのは再挑戦する度にルートの難易度を上げていったこと。

「いつか死ぬ」と思っていました。
いや、人はいつか必ず死ぬんですがね…

西稜ルートで指9本を失う凍傷のニュースを耳にしたときから、何だかザワザワしたものを感じてました。


登山タレント


最近で言うと、イッテQ登山部の「イモトアヤコ」さんのように、自分の中ではそんな位置づけの人でした。


この人は 山を楽しめていたのかな…




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私は高校時代、山岳部の部長をやってました。



でも 「山が好きだから」山岳部に入ったわけではなかったんですよ。


中学卒業までは寝ても覚めてもサッカー少年でした。
週刊少年ジャンプで「キャプテン翼」がバリバリ連載中の頃です。


でも、膝を壊してしまいサッカーを諦めたとき、もう激しく疲れるスポーツは嫌だなという思いもあり、高校進学後はほぼ帰宅部と思われた山岳部に目をつけてお気楽に入部したのでした。


でも、でも、山岳部ってランニング練習するんです!
結構カルチャーショックでしたね。やっても坂道のウォーキング練習ぐらいだろうと思っていたので。


そして当然ですが休みになると登山に行くんですよ(笑)


平日は昼休みに校舎の中庭にテント立てたり、アルコールストーブのポンピング練習がてらコッヘルで昼飯作ったり。


入部したての頃、先輩に「もやい結び」できるか?って訊かれて、先輩より素早く結べた瞬間から部内での立場が変わりました。


小学生の頃からカブスカウト、中学でボーイスカウトに入隊していた自分は、山で求められるスキル全てにおいて、同級生・上級生よりも高かったので、2年になる直前に部長を命ぜられました。


3年時は北海道高体連の大会で0.5ポイント差で全国大会を逃し悔しい思いもしました。


登山に点数が付くって何???と思うでしょう。

書き出すと長いですが体力・装備・設営・炊事・撤収・天気図作成などなど多岐にわたって点数が設けられていて、ポイントの高いパーティが上位になるんですね。

今考えると なんて馬鹿馬鹿しい って感じなのですが、まぁでも優劣をつけなければならないとなると仕方のないことだったんでしょうね。


高校山岳部時代で道内の主だった山は、熱心な顧問の先生のおかげでほとんど登りました。
半分ぐらい忘れてますが…(笑)


高校を卒業した後は「山」からはずっと遠ざかった生活。


そしてランニングをはじめて、トレイルランニングに出会って「山」へ回帰してきた。

歳をとってあらためて思いますが


「山」って楽しいよね。


心静かになれる。


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栗城史多さんのご冥福をお祈りいたします。